ブログで語る、私の人生【非効率的な生き方】

私(タカフミ)の人生をブログで語ります。

詳しく知りたくない方は読まなくても良いです。

ブログで語る人生【小学生時代】

  • 算数と国語が得意でした
  • 覚えることが苦手でした
  • ゲームばかりやってました

当時、進学塾ブームで、私も進学塾に行くことになりました。

入塾テストも一応あって、一定の学力があったので、合格しました。

今となっては行かせてもらって、本当に良かったと思っています。

特に場合の数の計算方法に疑問を持ったのは大きくて、ここで論理的な思考力が磨かれたと自分では思っています。

ただ、私はあまり勉強をしませんでした。

友達も勉強しないタイプが多く、ちょっと面白いタイプと遊ぶのが好きでした。

当時は、大学へ進学するのが当たり前だと思っていました(結果、大学へは行きました)。



ブログで語る人生【中学生時代】

  • 転校してやる気がなくなります
  • 学力は落ちていきます
  • ゲームばかりやってました

中学2年生のときに、兵庫県から静岡県へ転校することになります。

慣れていた環境から離れることになり、友達とも別れることになります。

方言も変わるので、当時はそれが本当に嫌でした。

ただ、転校先は良いところで、周りの友達もやさしい人ばかりでした。

今思えば、転校したばかりの私のことを気遣ってくれていたのだと思います。

しかし、やる気はまったくなく、部活もやる気がなくて、もちろん勉強もしませんでした。

学力に関しては、どんどん落ちていきました。

ブログで語る人生【高校生時代】

  • 途中で危機感を感じて特進クラスで大学受験を目指します
  • 数学と物理以外の勉強ができませんでした
  • ゲームばかりやってました

勉強をしていなかったので、勉強しない子が集まる高校に行くことになりました。

特進クラスというのがあったのですが、1年生の頃は普通クラスでした。

しかし、勉強していない私が定期テストで学年2位になったので、そのことに危機感を感じました(特進クラスは除く)。

あと決定的だったのが、全国でやっている、模試を学年全員で受けることになり、数学で校内偏差値が 79 というわけのわからない値を叩き出したこともきっかけです。

ちなみに全国偏差値は、55 くらいと本当に普通です。

このままでは大学に行けなくなると思い、最低限の勉強はするようにして、2年生から特進クラスに変わりました。

特進クラスと言っても、勉強するタイプの子が特別多いわけではありませんでした。

ただ、面白い子は多く、本質的に頭が良いだろうなと思う子は多かったので、刺激にはなりました。

最低限、数学だけ、センター試験で、8割9割くらい取れるレベルまでは持っていきましたが、他の教科がまったく駄目で、私立の中堅大学に合格しましたが、結局行きませんでした。

ブログで語る人生【浪人時代】

  • 勉強したらできるという盲信
  • 怠惰な生活
  • ゲームばかりやってました

大学受験の結果に納得がいかなかったので、浪人することになります。

そのタイミングで静岡県から大阪府へ引っ越すことになります。

どうせ浪人するなら、国公立の大学を目指そうと思いました。

ただ、この頃は目的を達成させるために何をしたら良いか、どう計画を立てて、どう進めるべきかといったことが全くできていませんでした。

勉強したらできるという、よくわからない自信だけはありました。

勉強したら、誰でもできるのです。

その勉強することが高校生や浪人生にとってはできないのです。

結局、怠惰な生活から抜け出せず、センター試験の直前(1月)でも、私はゲーム(RPG)をしているほど、どうしようもなかったです。

全くできなかった英語の偏差値を 50くらいまでは持っていきましたが、結局は私立の中堅大学にしか合格しませんでした。

しかも、科目が数学と物理だけの試験で合格したので、本当にもったいない時期を過ごしました(今は良かったと思っています)。

ブログで語る人生【大学生時代】

  • 奨学金を借りて、アルバイトと学業の両立
  • 大学4回生まで将来のことは考えていません

数学と物理が覚えることが少ないという理由だけで物理学科に入学しました。

将来のことは全く考えていません。

浪人していたということもあり、授業についていけないということはありませんでした。

サークルはテニスを選んで、アルバイトばかりすることになります。

アルバイトをしながら、原付の免許を取得し、ローンで原付を買いました。

初めて原付に乗ったときは衝撃でした。

私は車の免許も最終的に大学4回生で取得することになりますが、車に初めて乗ったときよりも私の中では印象に残っています。

奨学金を借りていたので、一定の学力は維持していました。

大学3回生の頃、研究室を選ぶことになりました。

実験が面倒という理由で物理の計算にパソコンを使うくらいで実験をほとんどしない研究室を選びました。

その頃の友達は自分にとって、刺激が多く、色々学べることがあったので勉強になりました。

大学4回生の頃、今まで全くさわっていなかったパソコンに興味を持つようになります。

インターネット環境は、ISDN という、当時でも時代遅れの環境でパソコンを勉強しました。

SE(システムエンジニア)という職業に興味を持ちました。

初心者でも大丈夫という文言に惹かれて、ソフト開発の会社に入社しようと決意します。

筆記試験、一次面接、二次面接、集団面接、最終面接。

当時はしょうがないと思ってやっていましたが、今思えば、かなり面倒でした。

運良く内定をもらうことができ、入社前研修で C言語を自宅で勉強することになりました。

卒業研究も無事終わり、大学院へは行かず、社会人になりました。

ブログで語る人生【SE時代】

  • 大学での経験を自分で過大評価
  • 想像以上の激務
  • 本質的なところは理解していない

大学生の頃は、ほとんど困ったことがなく、仕事なんて余裕だろうと当時は思っていました。

勉強とアルバイトの両立ができたということで自信があったのだと思います。

しかし、それはとんでもない勘違いでした。

研修が終わり、東京に出向することになりました。

大きなシステム(守秘義務があるので内容は書けません)のシステム試験(連携試験)を担当することになりました。

自分のやっていることなんて、歯車の一部にすぎません。

しかも、1年目なので、何がなんだかわかりません。

わからないことがあるのは大学時代で慣れているので、それでもわかるところから解決するようにしていきます。

連携が多いと、ここまでややこしくなるのかと当時は思いました。

朝の9時から夜中の3時まで働くような生活が続きます。

当時、ホテル暮らしを続けていて、大阪に何度か帰ることができました。

バイクに乗りたいという気持ちが抑えきれずに、バイクの免許(中型)を取得するために教習所に通います。

大阪に帰ったタイミングで教習所に行き、東京で仕事をして、大阪に戻ったら、また教習所に行く。

今、考えると絶対にやらないんですが、バイクのことばかり考えて、ストレスを紛らわせていました。

トイレでは嗚咽が聞こえ、正月明けは異様な雰囲気。

この会社で働くのはもう限界だなと思い、プロジェクトが落ち着いたタイミングで退職を決意しました。

わずか 1年の出来事です。

一応、基本情報技術者の資格だけは、会社に通いながら、取得することができました。

ブログで語る人生【職業訓練校時代】

  • 仕事とはここまで苦労しなければいけないことなのか?
  • もっと楽に暮らしていく方法があるはず

ソフト開発の会社を退職して、完全にやる気がなくなります。

ゆっくりした時間を持ちたいということで職業訓練校に行くことになります。

職業訓練校に行けば、失業手当の受給期間も訓練期間の終了まで延長されます。

無料なので内容は期待していませんでしたが、ネットビジネスを学べるコースを選びました。

その後、Web制作会社へ入社することになります。

ブログで語る人生【Web制作時代】

  • HTML、CSS を独学
  • 給料は大幅ダウン
  • デザインの方に画像加工を学ぶ

私は、SE経験者ですが、Web制作は初めてでした。

HTML と CSS を独学して、Web制作会社で働きました。

SE時代は、手取りで35万円もらっていたので、給料は大幅ダウンすることになります。

このとき、初めて Mac に出会いました(私は、Windowsユーザーです)。

なめらかな動きとインターフェースが当時は衝撃でした。

当時の Windows Vista の GUI と比較すると、明らかに Mac の方が優れていると感じたものです。

画像加工をやったり、コーディングをしたりしますが、やはり退屈で結局ここも退職することになります。

ブログで語る人生【下積み時代】

  • ネットオークションをやることになります
  • EC-CUBE でネットショップを構築
  • WordPress を初めて使いました
  • 周りに理解されないこともありました

やりたいことがわからずにさまよいます。

自然食品など、癒しをテーマとした会社に入社することになります。

正直な話をすると、自然食品や癒しに興味はほとんどありませんでした。

ただ、社長との距離が非常に近い会社だったので、学べることがたくさんあると思って、入社を決意します。

今まで行っていた会社とは全く違うタイプの会社でした。

私にはとにかくそれが衝撃でした。

会社には申し訳ないのですが、正直、技術という面においては、そこまで優れているとは思いませんでした。

しかし、行動すれば、できない人でもできるということを学ばせてもらいました。

今まで面倒だと思って、やっていなかった、ネットオークションやネットショップなどを仕事でやることになります。

チラシ配り、弁当の宅配、皿洗い、車の運転など、雑用みたいなこともやることになります。

給料ももちろん、SE時代とは比較になりません。

プライベートでもネットオークションをするようになり、収入を補填するようなこともやっていました(副業)。

やらない理由ばかり見つけてやっていませんでしたが、やってみると意外とできることにも気付かされます。

もちろん、障害はたくさんありますし、失敗もしましたが、今となっては本当に良い経験をさせてもらいました。

ただ、途中で何でも屋みたいな存在になり、これは会社の為にも自分の為にも良くないと思い、5年くらいで退職することになります。

今となっては自発的に行動できていなかったのも一つの原因だと思っています。

ただ、異様なまでに守りの姿勢が強かったのが、少し解放されて、良い意味でのいい加減さを認めることができるようになったのは良かったです。

ブログで語る人生【販売時代】

  • 世の中に良いサービスは溢れている
  • 正しい売り方をすれば売れる

アフィリエイトやネットショップに興味を持ちました。

ただ、ネットビジネスは自分でも勉強すればできるので、実店舗での販売経験が欲しいと思うようになります。

家電量販店に入社して、パソコンの販売をメインでやっていくことになります。

最初は、顧客のニーズが理解できませんでした。

しかし、経験や知識を積んで、売りたい商品も売れるようになりました。

ここで専門外のあるサービスや商品を売ることになります。

この頃に本格的にアフィリエイトをやり始めて、仕事が割に合わないと感じるようになり、結局、5年で退職することになります。



ブログで語る人生【現在】

  • フリーターになることを決意
  • 副業でブログを本格的にやることを決意

アフィリエイトで稼げることが理解できたので、フリーターになることを決意します。

会社員としての福利厚生は大きいので、ブログは副業でやることになります。

紆余曲折、色々ありましたが、なんとかアフィリエイトで稼げるようになって、今でもフリーターをやりながら、ブログを書いています。

今まで振り返ると本当に非効率な生き方をしてきました。

WordPress(ワードプレス)のブログも必要以上に開設してきました。

若い頃の時間の価値を理解せず、遠回りばかりしてきました。

しかし、今となってみると良かったなとも思っています。

長々と書いてきましたが、この記事を読んでくださっている方は、おそらく私より賢いはずです。

反面教師にしていただいても良いですし、こんな私でもやっていけるのだと参考にしていただいても結構です。

人生色々ありますが、一生懸命生きていれば、なんとかなるものです。

自分でできないと思っても、誰かが助けてくれたりすることもあります。

読んでくれた方のお役に少しでも立てれば幸いです。